昭和40年2月20日生まれ 若槻小 北部中 北部高校 若槻上野出身。
現在妻と子供小学生・中学生の女子二人をもつ…
高校生の頃はラーメン大好き少年で、上松の大王飯店でアルバイトに励みました。そして、この様なお店で仕事をすれば毎日ラーメンが食べられると安易な気持ちで、東京の中華料理店に就職、夢の毎日ラーメンの世界を手に入れたのです。
そんな中、職場の仲間と長崎チャンポンを食べに行くきっかけがあり、興味津々で行ってみると、それはもう大衝撃でした。今まで味わったことのない白いスープの濃さと風味、麺のモチモチ感、作り方も全然違う!何を取ってもラーメンとは違う!とにかく旨い!これがチャンポンなのか!もう寝ても覚めてもチャンポンの事で頭が一杯になりました。
「こんな美味しいチャンポンを知りたい!作りたい!」私は仲間の反対を押し切り、長崎チャンポン屋さんで仕事をする事にしました。長崎・九州出身の職人さんばかりで、方言が飛び交いとても刺激的でした。私は今度は夢の毎日チャンポンの世界を手に入れたのです。その様な生活の中、仲間とよくお酒を飲みに行ったのがお好み焼き・もんじゃのお店でした。一つの鉄板を囲みもんじゃ焼きをつっつきながら杯を交わすのが、とても幸せな時間でした。
ですが、ですがですよ...
私はお好み焼きが嫌いでした。フワッとはしているのですが、どうしても“粉感”があって口の中でゴワゴワしてすぐお腹にたまる。これがダメでした。なのでもんじゃばかり食べていました。そして段々ともんじゃ焼きにはまっていったのです。浅草・月島は勿論、何百軒食べ歩いたか分かりません。そんな時、美味しいお好み焼き屋さんがあると言うので、行って見る事にしました。そしてそのお店のお好み焼きを一口食べた瞬間、私は何とも言えない“幸せな気持ち”になったのです。「これ!スゲー旨い!」大き目に切ったキャベツが甘く、山芋たっぷりフワフワで、甘めのソースの焼けた芳ばしい香り、そして軽い喉ごし、それが一体となってなんとも“幸せな味が口の中一杯に広がった”のです。
「自分もこんなお好み焼きが作りたい!」この幸せの味を一人でも多くの人に知ってもらいたいと私の血が騒いだのです。それまで大好きだったチャンポン屋さんを辞めて今度はお好み焼きの世界に飛び込みました。キャベツと生地のバランス、ソースの配合、出し汁のとり方、小麦の良し悪し、などこの一枚は何て奥が深いんだと、その難しさに打ちのめされ私の真剣な修行が始まったのです。
そして私は今、夢の毎日チャンポン、お好み焼き、もんじゃのお店をやっている訳です。チャンポン、お好み焼き、もんじゃ、に出会った時の気持ちを今も大切に、その魅力をお客様に伝える事を大事にして、一つ一つ心を込めて作って行きます。